【スペインの歴史学習】映画「女王フアナ」【ドイツの歴史学習】ドラマ「最後の騎士マクシミリアン 権力と愛の物語」

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1500年代を舞台にした映画「エリザベス:ゴールデン・エイジ」を見たら敵のスペインは当時どんな状況だったのか
関連する映画を探して見つけた「女王フアナ」(2001)
この映画の時代背景を調べました。
さらに「女王フアナ」の夫フィリップ1世の父親のマクシミリアンのドラマ「最後の騎士マクシミリアン 権力と愛の物語」も見ました。フィリップ1世はこの作品では赤さんです。
女の子と疑われ教会で大衆の面前でチ○チンをさらすというシーンで登場します。
ドイツの歴史に関係してます。
知識のない私がYoutubeやChatGptに聞きたりしてまとめたので間違いも多いと思いますので、ご注意ください。
特にChatGpt等の生成AIは、自信満々に間違った答えを言うときがあるので注意してください。

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スペイン史の勉強から

こちらのYoutubeで12:30まで見ると映画の時代までのスペインの歴史が分かります。

映画「女王ファナ」(2001)の解説。舞台は1500年代

スペインの歴史は、多様な文化と民族の交流の物語です。
古代にはイベリア人、フェニキア人、ケルト人、ローマ人がこの地に影響を与えました。
中世には西ゴート王国やイスラム勢力が支配してました。
レコンキスタと呼ばれるキリスト教徒によるイベリア半島の再征服運動が8世紀に始まり、
1492年にグラナダ王国が陥落することで完了しました。これにより、イベリア半島全体がキリスト教徒の支配下に戻り、カトリック教会の影響力が強まることとなりました。

映画に関連する年表です。
1469年-父フェルナンド2世(アラゴン王)と母イサベル1世(カスティーリャ女王)の結婚によりスペインが事実上統一される。
1479年-フアナ1世誕生

↓ここから映画で扱われている部分
1496年-17歳でフランドル(現在のベルギー)のフィリップ美男王と結婚。これにより、スペインとハプスブルク家の関係が強化される。(後述)
1504年-母イサベル1世(カスティーリャ女王)死亡でファナがカスティーリャ女王として即位。しかし、父フェルナンド2世が共同統治者となる。(まだスペインとして統治されているわけではなくカスティーリャ王国とアラゴン連合王国で別々に統治されているっぽい。)
1506年-夫フィリップ1世死去、翌年からファナが幽閉される。
↑ここまで

映画「女王フアナ」(原題: Juana la Loca)に関連するフアナ1世の生涯を年表付きで解説します。フアナの人生を通じて、彼女が関わった重要な出来事を時系列で整理します。

年表と解説

出来事と解説
1479年フアナ1世誕生:11月6日、カスティーリャ王国のトレドで、イサベル1世とフェルナンド2世の娘として誕生。
1496年フィリップ1世と結婚:17歳でフランドル(現在のベルギー)のフィリップ美男王と結婚。これにより、スペインとハプスブルク家の関係が強化される。
1500年息子カルロス誕生:後の神聖ローマ皇帝カール5世(スペイン王カルロス1世)が誕生。
1502年カスティーリャ王位継承者宣言:フアナは母イサベル1世の死後、カスティーリャ王位の法定相続人に宣言されるが、すでに精神的な不安定さを示し始める。
1504年イサベル1世死去:母イサベル1世が死去し、フアナがカスティーリャ女王として即位。しかし、父フェルナンド2世が共同統治者となる。
1506年フィリップ1世死去:フィリップ1世が突然の病で死去。フアナは深い悲しみに沈み、精神状態がさらに悪化。フィリップの棺を移動させるなどの異常行動が記録される。
1507年トルデシリャスでの幽閉開始:父フェルナンド2世によってトルデシリャスの修道院に幽閉され、事実上の政治権力を奪われる。息子カルロスが成年に達するまで幽閉が続く。
1516年フェルナンド2世死去:父が死去し、息子カルロスがスペイン王位を継承。しかし、フアナは引き続き幽閉されたままとなる。
1520年コムネロスの反乱:スペイン国内で反乱が起きるが、反乱勢力はフアナを名目上の女王に擁立しようとする。しかし、彼女が本当に権力を取り戻すことはなかった。
1555年フアナ1世死去:3月12日、トルデシリャスで亡くなる。幽閉生活は約50年間に及んだ。彼女の死により、スペイン帝国の統治は完全に息子カルロスに引き継がれる。

解説

フアナ1世は、スペイン王室の統治者として正式に即位したものの、その精神状態や政治的な状況から、実際にはほとんど権力を行使することができませんでした。彼女の精神的な不安定さは、政治的な道具として利用され、父や息子によって実権が奪われ、幽閉されることになります。

映画「女王フアナ」は、彼女の生涯におけるこのような悲劇的な側面を強調し、彼女の愛と狂気、そして権力闘争に翻弄された運命を描いています。

[ネタバレ]
女王ファナの夫フィリップ1世に対する強すぎる愛情が引き起こす物語。
最終的に狂ったということで幽閉される。
奇声を発したり多少へんなぐらいで、まあ、狂ってはいない。
1番の奇行はカルロス1世をトイレで出産して、へその緒を引きちぎるシーンぐらい。
トイレで出産というとよくあるのは内緒の出産だが、
そうではなく、宮廷内で、う○こしにいったらついでに出たみたいな感じだった。

ファナを幽閉したい各者の思惑は、
・夫フィリップ1世が浮気したい。
・親父フェルナンド2世(アラゴン王)がカスティーリャも統治したい。
・フランドル(ハプスブルク家)の勢力がスペインに影響力を持ちたい。

狂っているかどうか最終的に関係者に見て判定する大事なシーンで
ファナは嫉妬に狂って夫の浮気相手のラブレターの筆跡鑑定をしていた。
その様子を狂っていると判定されたシーンは、ちょっとおもしろかった。

その後は至って、まともで映画の展開的には幽閉令は撤回されていそうな雰囲気だったが
史実通り幽閉されてたのには、ずっこけた。

マリー・アントワネットのハプスブルク家って言うのは、よく聞くがよく分からないのでフランドル(現在のベルギー)との関係を調べた。
この辺の話はドラマ「最後の騎士マクシミリアン 権力と愛の物語」がある。
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フランドルとハプスブルク家の関係は、15世紀から16世紀にかけてのヨーロッパの政治的・歴史的な文脈で非常に重要な意味を持っています。以下に、その関係について詳しく解説します。

フランドルとは?

フランドルは、現在のベルギー北部とフランスの一部を含む地域で、特に中世から近世にかけて重要な商業・経済の中心地として栄えました。ブルッヘやアントワープなどの都市は、貿易と金融の要としてヨーロッパ全体に影響を与えました。

ハプスブルク家とは?

ハプスブルク家は、オーストリアを拠点にヨーロッパ各地で勢力を拡大した名門貴族の家系です。15世紀後半から16世紀にかけて、神聖ローマ帝国の皇帝位を長期にわたって保持し、スペイン、オーストリア、ボヘミア、ハンガリー、さらにはイタリアやネーデルラント(フランドルを含む)など、広範な地域を支配しました。

フランドルとハプスブルク家の関係

フランドルは、15世紀にブルゴーニュ公国の一部としてハプスブルク家の支配下に入りました。以下の出来事がその関係を深めました。

  1. マリー・ド・ブルゴーニュとマクシミリアン1世の結婚(1477年)
  • ブルゴーニュ公国の相続人であったマリー・ド・ブルゴーニュが、ハプスブルク家のマクシミリアン1世と結婚しました。この結婚により、ブルゴーニュ公国の領土であるフランドル地方もハプスブルク家の統治下に入ることになりました。
  1. フィリップ美男王の支配
  • マリー・ド・ブルゴーニュとマクシミリアン1世の息子であるフィリップ美男王は、フランドルを含むネーデルラントを継承しました。彼はフランドル地方を統治し、そこでフアナ1世と結婚しました。この結婚により、スペインとハプスブルク家の結びつきがさらに強化されました。
  1. カルロス1世(カール5世)
  • フィリップ美男王とフアナ1世の息子であるカルロス1世(後の神聖ローマ皇帝カール5世)は、フランドル地方を含むネーデルラントの領主として育ち、後にスペインとハプスブルク家の領土を継承しました。彼は広大な帝国を統治し、フランドル地方もその一部として重要な役割を果たしました。

フランドルの役割

フランドル地方は、ハプスブルク家の帝国において経済的に重要な地域であり、その商業活動はハプスブルク家の財政を支える一助となりました。また、文化的にもフランドル派の画家などを通じてヨーロッパに大きな影響を与えました。

結論

フランドルとハプスブルク家の関係は、結婚を通じた領土継承や政治的な同盟関係を強化する要因となり、ハプスブルク家の広大な帝国の中で重要な位置を占めました。この関係は、16世紀以降のヨーロッパの政治・経済・文化に大きな影響を及ぼしました。

映画「エリザベス」「エリザベス:ゴールデン・エイジ」と関連して
ファナの息子カルロス1世(カール5世)の息子フェリペ2世はエリザベス1世の宿敵です。
1516年: カルロス1世がスペイン王として即位。ヨーロッパの広大な領土を統治。
1556年: カルロス1世が退位し、スペインとその領土は息子フェリペ2世に引き継がれる。
1588年: アルマダ海戦

また同作でスペインがカトリック国として出てくる。
映画「女王フアナ」の登場人物がカトリックに関係してそうなので調べた。

スペインがカトリック国家として確立されたのは、15世紀末から16世紀初頭のことです。この時期に起こった一連の出来事が、スペインをカトリック国家として確立させる大きな転換点となりました。以下に、その経緯を説明します。

1. レコンキスタの完了(1492年)

スペインがカトリック国家となる重要な要素は、レコンキスタと呼ばれるキリスト教徒によるイベリア半島の再征服運動です。この運動は、8世紀に始まり、1492年にグラナダ王国が陥落することで完了しました。これにより、イベリア半島全体がキリスト教徒の支配下に戻り、カトリック教会の影響力が強まることとなりました。

2. カトリック両王の統治

スペインがカトリック国家として確立されるもう一つの重要な出来事は、フェルナンド2世(アラゴン王)イサベル1世(カスティーリャ女王)の結婚(1469年)です。彼らは「カトリック両王(Los Reyes Católicos)」と呼ばれ、スペインの統一とカトリック教会の強化を推進しました。

  • 異端審問の設置(1478年):カトリック両王は、スペイン異端審問を設置し、カトリック教義の厳守を強化しました。これにより、異教徒や異端者への圧力が強まりました。
  • アルハンブラ勅令(1492年):この勅令により、スペイン国内のユダヤ人がカトリックに改宗するか、国を去るかの選択を迫られました。同様の圧力がムスリムにもかけられ、イスラム教徒も改宗を強制されました。

3. スペイン帝国とカトリック教会

16世紀には、スペインは広大な領土を持つ大帝国として成長し、その拡大とともにカトリック教会の布教活動も積極的に行われました。スペインの国王はカトリック教会の擁護者としての役割を果たし、スペインは「カトリックの防衛者」としての地位を確立しました。

  • カルロス1世(カール5世)の統治カルロス1世は神聖ローマ皇帝としてもカトリック教会を支持し、宗教改革に対抗するカトリック教会の活動を支援しました。

結論

スペインがカトリック国家としての地位を確立したのは、15世紀後半から16世紀にかけてのレコンキスタの完了とカトリック両王の統治にさかのぼります。これらの出来事が、スペインをカトリック教義の擁護者として確立し、以後、スペインはヨーロッパと新世界でのカトリック教会の影響力拡大において中心的な役割を果たしました。

ドラマ「最後の騎士マクシミリアン 権力と愛の物語」の解説、舞台は1400年代後半

マクシミリアンはドイツの歴史の知識が必要です。
以下Youtubeを7分まで見てください。そこで登場するカール5世(カルロス1世)がマクシミリアン の孫、映画「女王ファナ」で母である女王ファナがトイレで出産して母がへその緒を引きちぎってた子です。

舞台となる各国の状況
(神聖ローマ帝国が国として中途半端なのでオーストリアやブルゴーニュ公国との関係が分かりずらいので調べました。間違っているかも。)
フランスーイングランドとの100年戦争でピンチだったフランスで、ジャンヌダルクの活躍に救われたのがシャルル7世。その子供ルイ11世の時代。
神聖ローマ帝国-複雑な政治体制を持つ国家でした。皇帝は帝国の象徴的な首長であり、多くの領邦、つまり半自立的な支配地域から構成されていました。これらの領邦は、各々が独自の君主を持ち、しばしば皇帝の権威に挑戦することもありました。13世紀には、皇帝の権力が弱まり、領邦の自立性が高まりました。これにより、領邦は事実上の独立国のような状態になり、神聖ローマ帝国の統一性は名目上のものとなっていきました。(Bing談)皇帝の力のなさは、ドラマの中でマクシミリアンの父フリードリヒ3世そのものである。
オーストリアーハプスブルク家が統治する神聖ローマ帝国の有力な領邦。神聖ローマ皇帝を輩出し、ヨーロッパの覇権を握ることを目指していた。
ブルゴーニュ公国ーシャルル突進公が統治したフランス東部にあった公国。(フランス王国の一部であり、フランス王に対する封臣領。というChatGptの説明だったが、物語冒頭からフランスと戦ってシャルル突進公が戦死している。その微妙な立ち位置が物語で扱われている。)
裕福な商人がいっぱいいる。商人がお金を持っていて上流階級がお金がないことが、この物語のポイントです。
マクシミリアンなんか神聖ローマ帝国内の宿で宿賃が払えないエピーソードが出てきます。
ハンガリー: 独立した王国であり、神聖ローマ帝国には属していなかった。ドラマの中でハンガリー王マーチャーシュ1世はマクシミリアンの妹クニグンデとの年の差婚話が進む。
「黒軍(Black Army)」は、主にハンガリー王国の軍隊を指します。特に、15世紀後半から16世紀初頭にかけてのハンガリー王マーチャーシュ1世の時代に活躍した精鋭傭兵部隊を「黒軍」と呼びます。

登場人物
マクシミリアン1世ー1459年生。父は神聖ローマ皇帝フリードリヒ3世、母はポルトガル王女エレオ
ノーレです。
マリー・ド・ブルゴー父シャルル突進公の死でブルゴーニュ公国を引き継ぐ。

【歴史の勉強的な感想】皇帝というのは名ばかりで神聖ローマ帝国に影響力がないことがうかがわれるし、神聖ローマ帝国も統一国家という感じではない。商人頼みで、常に金策で困っていた。
王(皇帝)の権力に関して絶対王政というワードがある。
ドラマを見ると神聖ローマ帝国は絶対王政には程遠い状況にあるのではないかと思い
この頃どうなってるのかChatGptに聞いた。

16世紀のフランスと神聖ローマ帝国における王の権力は、絶対王政への移行の過程に影響を与え、またその過程の一部でもありますが、両者の状況は異なっています。以下に、それぞれの権力の状況と絶対王政との関係を説明します。

フランスの王権と絶対王政

フランスにおける絶対王政への進展:

  • 背景: フランスは15世紀末から16世紀にかけて、中央集権化を進め、王権を強化していきました。この時期のフランス王は、封建領主たちの力を削ぎ、中央政府を強化するために努力しました。
  • フランソワ1世(在位:1515年–1547年): マクシミリアン1世と同時期に活躍したフランス王フランソワ1世は、絶対王政の基礎を築いた重要な人物です。彼は行政機構を整備し、国王の権威を高めるとともに、文化や芸術を奨励しました。また、フランス王権の強化の一環として、フランス国内の司法権を強化し、王国全体で統一的な法を施行することを目指しました。
  • 絶対王政への進展: フランソワ1世や彼の後継者たちが築いた基盤は、17世紀のルイ14世による「太陽王」の時代に絶対王政が完成する準備を整えました。ルイ14世は「朕は国家なり」という言葉に象徴されるように、フランスの絶対王政を最高潮に導きました。

神聖ローマ帝国の皇帝権と絶対王政

神聖ローマ帝国における皇帝権:

  • 背景: 神聖ローマ帝国は、フランスとは異なり、非常に分権的な政治体制を持っていました。神聖ローマ皇帝は、名目上は帝国全体の支配者でしたが、各地の諸侯(領邦君主)や都市に大きな自治権があり、皇帝の実権は限定的でした。
  • マクシミリアン1世(在位:1508年–1519年): マクシミリアン1世は、皇帝として帝国の中央集権化を図りましたが、完全な成功は収められませんでした。彼は「改革の皇帝」として知られ、帝国議会(Reichstag)を整備し、帝国全体での法の整備や統一を進めようとしましたが、諸侯の強い抵抗に直面しました。
  • 絶対王政との関係: 神聖ローマ帝国においては、フランスのような絶対王政は発展しませんでした。帝国の構造自体が分権的であったため、皇帝がフランス王のような強力な中央集権的な権力を持つことはできませんでした。これは、神聖ローマ帝国が19世紀初頭まで続いたものの、強力な中央政府を欠いていたことに起因します。

まとめ

  • フランス: 16世紀には王権が強化され、絶対王政への道が進んでいました。フランソワ1世などの王が中央集権化を進め、その後のルイ14世の時代に絶対王政が完成しました。
  • 神聖ローマ帝国: 分権的な構造のため、フランスのような絶対王政は発展しませんでした。マクシミリアン1世は中央集権化を試みましたが、諸侯の抵抗により、皇帝権は限定的なままでした。

このように、フランスと神聖ローマ帝国は、絶対王政の形成に対するアプローチや結果が大きく異なっています。

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