映画で勉強するキリスト教の歴史

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キリスト教の歴史を映画、Youtube、ChatGptを使って勉強したのでまとめました。
ユダヤ教、旧約聖書の内容、キリスト教の誕生、エルサレムの関係
ローマ帝国でキリスト教の変遷、教皇の力、カトリックとプロテスタントなどに触れます。
キリスト教の歴史はヨーロッパの歴史と深く関わってきます。

ヨーロッパの歴史映画
「ヨーロッパの歴史映画」の記事一覧です。

知識のない私がYoutubeやChatGptに聞きたりしてまとめたので間違いも多いと思いますので、ご注意ください。
特にChatGpt等の生成AIは、自信満々に間違った答えを言うときがあるので注意してください。

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十戒(1956)

映画『十戒』は、紀元前13世紀のエジプトを舞台にしています。
キリスト教の聖典は「旧約聖書」と「新約聖書」の両方を含みます。
旧約聖書はユダヤ教の聖典でもあり、主にイスラエルの歴史や律法、預言などが書かれています。
新約聖書はイエス・キリストの生涯や教え、弟子たちの活動について記されています。
ユダヤ教がユダヤ人だけの宗教だが、キリスト教は、「旧約聖書」に新たに「新約聖書」を加えてユダヤ人以外の人の宗教にした感じだと思います。
なのでキリスト教にとっても「旧約聖書」に出ているので天地創造、アダムとイブなどの話は重要だと思います。
しかしユダヤ教は「新約聖書」は関係ないようです。

新約聖書の世界観や時代背景を背景にした映画に「ベン・ハー」があります。後で紹介します。

下のYoutubeで「十戒」を見るための前提知識が得られます。
12分ぐらいまでで旧約聖書の「創世記」編の説明があり、映画「十戒」は、その後の「出エジプト記」からの話になります。「創世記」編の映画は『天地創造』(1966)がある。U-NEXT で見れないがゲオ宅配レンタル にはある。

「十戒」を見ていて疑問に思ったことを調べたので書いておきます。
ユダヤ人とローマ帝国(ベン・ハーに関連するのでついで)や古代エジプトの多神教で、どのように世界観が違うのか天地創造で比較してみた。→多神教でも序列はありそうだが、何もかも一人の神が取り仕切っているわけではなさそうです。
(ファラオは古代エジプトの王を指す称号)

ローマ帝国やファラオ時代のエジプトの多神教は、それぞれ独自の神々の体系と神話を持ち、社会や文化に深く根付いていました。これらの宗教には、天地創造に関する神話も存在します。以下で詳細に説明します。


ローマ帝国の多神教

概要

ローマ帝国の多神教は、多数の神々を信仰する宗教体系であり、日常生活や政治、軍事などあらゆる側面に影響を与えていました。ローマの宗教は、ギリシャ神話をはじめとする他文化の神々や信仰を取り入れ、独自に発展させたものです。

主な神々

  • ユピテル(Jupiter): 天空と雷の神で、神々の王。ギリシャ神話のゼウスに相当。
  • ユノ(Juno): 結婚と家庭の女神で、ユピテルの妻。ギリシャ神話のヘラに相当。
  • ミネルウァ(Minerva): 知恵と戦略の女神。ギリシャ神話のアテナに相当。
  • マルス(Mars): 戦争の神。ギリシャ神話のアレスに相当。
  • ウェヌス(Venus): 愛と美の女神。ギリシャ神話のアフロディテに相当。
  • ネプトゥヌス(Neptune): 海の神。ギリシャ神話のポセイドンに相当。

宗教的実践

  • 神殿と祭壇: 各神々に捧げられた神殿が都市や地方に建てられ、定期的な祭祀が行われました。
  • 祭司と巫女: 専門の宗教職が存在し、国家や個人のために儀式を執り行いました。
  • 公的・私的儀式: 国家レベルの祭典から家庭内の祈りや供物まで、多様な形で信仰が実践されました。
  • 占いと予兆: 鳥の飛び方や内臓の状態を観察して神々の意志を読み取る習慣がありました。

天地創造の神話

ローマ神話において、明確な天地創造神話は比較的少なく、多くの場合、ギリシャ神話からの影響が強く見られます。

主要な創造神話

  • オウィディウスの『変身物語(メタモルフォーシス)』:
  • この詩的作品には、カオスからの創造の物語が描かれています。
  • 初めに無秩序なカオスが存在し、そこから神が秩序をもたらし、天地、海、星、人間などが創造されたとされています。
  • この神話は、ギリシャ神話の創造物語と類似しており、ローマにおける天地創造の概念を理解する上で重要です。

まとめ

ローマ帝国の多神教は、多様な神々と豊かな神話を持ち、社会や文化に深い影響を与えました。天地創造に関する神話は主に他文化からの影響を受けており、カオスからの創造といった概念が共有されています。


ファラオ時代のエジプトの多神教

概要

古代エジプトの多神教は、自然現象、社会秩序、来世などを司る多数の神々を信仰する宗教体系です。この宗教は、約3000年以上にわたってエジプト社会を支配し、その芸術、建築、文学に大きな影響を与えました。

主な神々

  • ラー(Ra): 太陽神であり、創造神としても崇拝されました。
  • オシリス(Osiris): 冥界と復活の神。農業とナイル川の豊穣を象徴。
  • イシス(Isis): 母性と魔法の女神。オシリスの妻であり、ホルスの母。
  • ホルス(Horus): 空と王権の神。ファラオの守護神として崇拝。
  • セト(Set): 砂漠と嵐の神。オシリスの弟であり、しばしば対立する存在。
  • プタハ(Ptah): 職人と創造の神。メンフィスで特に崇拝。
  • アメン(Amun): 隠されたものを意味する神。新王国時代にはラーと結合してアメン・ラーとして最高神となる。

宗教的実践

  • 神殿建設: 各神々に捧げられた壮大な神殿が建設され、多くの儀式が行われました。
  • ファラオの役割: ファラオは神の子孫または神そのものとされ、宗教的・政治的な最高権威を持っていました。
  • ミイラ化と埋葬: 死後の世界への旅を重視し、ミイラ化や豊かな副葬品を伴う埋葬が行われました。
  • 祝祭と儀式: 年間を通じて多くの宗教的祝祭があり、豊穣や神々への感謝を祝いました。

天地創造の神話

古代エジプトには、複数の天地創造神話が存在し、地域や時代によって異なるバージョンが伝えられました。主な創造神話を以下に紹介します。

1. ヘリオポリスの創造神話

  • 概要:
  • ヘリオポリス(現在のカイロ近郊)を中心に伝えられた最も有名な創造神話。
  • 内容:
  • 初めに、混沌とした原初の水「ヌン(Nun)」だけが存在。
  • 原初の丘から、太陽神ラー(アトゥムとも呼ばれる)が自己創造し、他の神々を生み出す。
    • シュウ(Shu): 空気の神
    • テフヌト(Tefnut): 湿気の女神
  • シュウとテフヌトから
    • ゲブ(Geb): 大地の神
    • ヌト(Nut): 天空の女神
  • ゲブとヌトから
    • オシリス、イシス、セト、ネフティスなどの神々が生まれる。
  • これらの神々を通じて、世界と人間が創造されたとされる。

2. メンフィスの創造神話

  • 概要:
  • メンフィスを中心に伝えられた神話で、創造神プタハ(Ptah)が主役。
  • 内容:
  • プタハは心(思考)と言葉(発声)を通じて世界を創造したとされる。
  • プタハが考え、言葉に出すことで、他の神々や全ての存在が生まれた。
  • この神話は、創造の力としての言葉と知性を強調しており、抽象的な創造観を示す。

3. ヘルモポリスの創造神話

  • 概要:
  • ヘルモポリスを中心に伝えられた神話で、オグドアド(8柱の原初の神々)が登場。
  • 内容:
  • 4組の男女ペアの神々(ヌンとナウネト、ヘフとハウヘト、ククとカウケト、アムンとアマウネト)が、原初の混沌を表す。
  • これらの神々が協力して原初の丘と太陽を創造し、そこから世界が形成された。
  • 太陽神は卵または蓮の花から誕生したとされる。

まとめ

古代エジプトの多神教は、豊富で複雑な神話体系を持ち、地域や時代によって異なる天地創造の物語が存在しました。これらの神話は、自然現象や宇宙の起源を説明し、エジプト人の世界観や宗教的実践に深く影響を与えました。


ユダヤ教の天地創造との比較

ユダヤ教の天地創造

  • 概要:
  • ユダヤ教の天地創造神話は、「創世記」(旧約聖書の最初の書)に記されています。
  • 内容:
  • 神(ヤハウェ)6日間で世界を創造し、7日目に休息した。
    • 第1日目: 光と闇を創造。
    • 第2日目: 天空を創造。
    • 第3日目: 大地と海、植物を創造。
    • 第4日目: 太陽、月、星を創造。
    • 第5日目: 鳥と海の生物を創造。
    • 第6日目: 陸上の動物と人間(男と女)を創造。
    • 第7日目: 神が休み、この日を聖別。
  • 特徴:
  • 唯一神による計画的かつ秩序だった創造。
  • 言葉による創造: 「神は言われた、『光あれ』。すると光があった。」というように、神の言葉によって万物が生み出される。
  • 人間の特別な位置: 人間は神の姿に似せて創られ、被造物を管理する責任を与えられる。

比較と考察

共通点

  • 創造の概念:
  • いずれの宗教も、初めに混沌や無から世界が創造されたとする点で共通しています。
  • 神の力:
  • 超越的な存在が世界を創造したという共通認識があります。
  • 秩序の確立:
  • 創造行為を通じて、秩序と構造が無秩序な状態にもたらされるというテーマが見られます。

相違点

  • 神々の数:
  • ユダヤ教は一神教であり、唯一の神が全てを創造。
  • ローマ・エジプトの宗教は多神教であり、複数の神々が創造に関与。
  • 創造方法:
  • ユダヤ教では、神の言葉による直接的かつ計画的な創造。
  • エジプト神話では、自己創造や思考、言葉、性的結合など多様な方法で創造が行われる。
  • 創造の目的と人間の位置づけ:
  • ユダヤ教では、人間は神の似姿として特別な存在。
  • エジプト神話では、人間は神々の創造物の一部であり、神々に仕える存在として描かれることが多い。
  • 神話の多様性:
  • エジプトには複数の創造神話が地域ごとに存在する一方、ユダヤ教には統一された創造神話が存在。

まとめ

ローマ帝国や古代エジプトの多神教とユダヤ教の天地創造神話は、世界の起源と人間の位置づけを説明する試みとして共通していますが、その神々の数、創造の方法、宗教的な意義において大きな違いがあります。これらの神話は、それぞれの文化や社会の価値観、世界観を反映しており、歴史的・宗教的な理解を深める上で重要な役割を果たしています。

「アブラハムの神」というセリフがあるが、アブラハムが神なのかと思って調べた。
「アブラハムの神」とは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の共通の祖であるアブラハムが信じた唯一神を指します。この神は、アブラハムと契約を結び、その契約を息子のイサク、孫のヤコブへと継承しました。

アブラハムは、神から「多くの国民の父」となることを約束され、その子孫が繁栄することを約束されました。この神は、ユダヤ教では「ヤハウェ」、キリスト教では「神」、イスラム教では「アッラー」と呼ばれています

【感想】後半の奇跡が連発するところは、ちょっと引いた。
唯一神の絶対的な力を示した単純な話で終わるのかと思った。
そこから戒めモードに入るところは面白かった。
偶像崇拝のダメさや、多神教の神々の無力さなど主張している内容が分かりやすかった。
また十戒の石板が、どういういきさつだったのかとか、いろいろ勉強になった。

映画「ノア 約束の舟」(2014)

U-NEXT で見られます。旧約聖書の「創世記」編の映画は『天地創造』(1966)がある。
ノアの箱舟の話だけの話。天地創造、アダムとイブなどの話はダイジェスト的に登場する。
かなり脚色されているが、サスペンスとしてかなり面白かった。
「シャイニング」を思い出す。
「ウォッチャー」と呼ばれる石の怪物も最初、「え、何これ」とドン引きしたが
違和感なくストリーに溶け込んでいて最終的にはかっこよかった。

映画「ノア 約束の舟」(2014年)は、旧約聖書の「創世記」に描かれたノアの洪水物語に基づいていますが、映画には多くのフィクション要素が含まれています。

船に乗る人間のメンバー構成

旧約聖書の「創世記」によると、ノアと彼の家族だけが箱舟に乗りました。具体的には、ノア、彼の妻、3人の息子(セム、ハム、ヤペテ)、そして彼らの妻たちです。映画でもノアと彼の家族が登場しますが、映画では脚色が加えられ、聖書に明確に描かれていない登場人物や人間関係が追加されています。

石の怪物

映画に登場する「ウォッチャー」と呼ばれる石の怪物は、旧約聖書には直接登場しません。これらのキャラクターは、アポクリファ的な要素や非正典的なユダヤ教の伝承に由来しているとされることがあります。具体的には、エノク書などの外典に出てくる堕天使(ウォッチャー)に触発されているとも言われていますが、聖書にはこれらの石の怪物は描かれていません。

したがって、映画「ノア 約束の舟」は、旧約聖書の物語に基づいていますが、多くの部分で創造的な脚色が行われています。

ノアの箱舟で人類リセットしたとして、いつ頃の設定の話か気になったのでChatGptに聞いた。

ノアの箱舟の物語が起こったとされる時期は、具体的な年を聖書に基づいて確定することは困難です。しかし、多くの聖書学者や歴史学者は、ノアの洪水が起こったとされる時期を紀元前3000年から2000年の間と推測しています。

この推測は、古代メソポタミア地域での洪水伝説や地質学的証拠と関連づけられています。例えば、メソポタミアのギルガメシュ叙事詩やシュメールの伝承には、洪水の物語が登場し、これがノアの物語に影響を与えた可能性があります。

ただし、これらの推測はあくまで伝説や宗教的文献に基づいており、実際の歴史的出来事としての洪水の時期を確定することは難しいです。

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映画「ベン・ハー 」(1959)キリスト教誕生

キリスト教誕生に関する映画は「ベンハー」U-NEXT で見られます。
舞台はキリスト誕生なのでB.C.(紀元前)からA.D. (紀元)になるところ。

映画理解のためのポイントは
・ローマ帝国は多神教(現在は消滅)で征服した地域の宗教をある程度容認。ローマ帝国の宗教に○○教という名前がないので分かりにくいがユダヤ教ではない。
・ローマ帝国が支配したエルサレムはユダヤ教の中心地であり、ユダヤ人にとって聖なる都市
・ユダヤ教の地域にキリストが生まれてからキリスト教が誕生した。映画「ベンハー」ではキリストの物語がオンタイムで進んでいるので、キリスト教は世界的に広まっていない。その後、弟子たちによって広まる。
・キリストはユダヤ教の伝統的な指導者層から異端視されることになり、最終的に反逆者として告発される。
・映画「ベンハー」は、ほとんどベンハーの物語でキリストは脇役

映画「ベン・ハー」の背景として、ローマ帝国の宗教とエルサレムの関係についての理解は、物語の設定やキャラクターの動機を深く理解するために重要です。

1. ローマ帝国の宗教

  • 多神教: ローマ帝国は多神教であり、ギリシャ神話の神々やローマ独自の神々を崇拝していました。皇帝崇拝も行われており、皇帝を神として礼拝することが義務付けられていました。
  • 宗教的寛容: ローマは、征服した地域の宗教をある程度容認し、その土地の人々に独自の信仰を持つことを許していましたが、同時にローマの神々への崇拝や皇帝崇拝を求めました。

2. エルサレムとローマ帝国

  • ユダヤ教: エルサレムはユダヤ教の中心地であり、ユダヤ人にとって聖なる都市でした。ユダヤ教は一神教であり、唯一の神であるヤハウェを信仰していました。
  • ローマ支配下のエルサレム: ローマ帝国は紀元前63年にエルサレムを征服し、その後、ユダヤ人に対するローマの支配が強化されました。ユダヤ人はローマの支配を嫌悪し、特に皇帝崇拝や多神教の儀式に反発していました。
  • 緊張関係: ローマとユダヤ人の間には深い緊張関係がありました。ユダヤ人はローマの宗教的圧力や税金、支配に抵抗しており、反乱も頻発していました。この緊張が映画「ベン・ハー」の背景に色濃く反映されています。

3. 「ベン・ハー」の物語における影響

  • 主人公の運命: 主人公ユダ・ベン・ハーは、ローマ帝国とその支配に対する反発が物語の中心的なテーマになっています。彼の人生はローマとの対立と密接に絡んでおり、ローマの権力と宗教的な背景が彼の行動や選択に大きく影響を与えています。
  • 宗教的要素: キリスト教の誕生と拡大も物語の重要な部分であり、キリストの存在や教えがベン・ハーの人生に影響を与えるシーンが描かれています。この背景には、ユダヤ教からキリスト教への移行期における宗教的緊張やローマ帝国との対立が関係しています。

これらの要素を理解することで、映画「ベン・ハー」のストーリーやキャラクターの動機をより深く理解できるようになります。

キリストとローマ帝国、ユダヤ教徒の関係は、初期キリスト教の成立とその後の展開において重要なテーマです。この関係を理解するためには、以下のポイントが参考になります。

1. キリスト(イエス・キリスト)とユダヤ教

  • ユダヤ教の一員: イエス・キリストはユダヤ人であり、ユダヤ教の中で活動を始めました。彼の教えは、旧約聖書に基づきつつも、それに新しい解釈や視点を加えるものでした。
  • メシアの概念: ユダヤ教には、将来現れる救世主(メシア)がユダヤ人を解放するという信仰があります。イエスが自らをメシアと名乗ることで、当時のユダヤ教指導者たちと対立するようになりました。
  • 宗教指導者との対立: イエスは律法主義的なユダヤ教指導者たちを批判し、人々の内面的な信仰の重要性を強調しました。このため、彼はユダヤ教の伝統的な指導者層から異端視されることになり、最終的に反逆者として告発されました。

2. キリストとローマ帝国

  • 政治的懸念: イエスが「ユダヤ人の王」として人々から支持を受けることは、ローマ帝国にとって脅威でした。ローマは、ユダヤ地方を含む領土を安定して統治するために、反乱の兆しとなり得る人物や運動を厳しく取り締まりました。
  • ピラトの役割: イエスの裁判と処刑は、ローマの総督ポンティウス・ピラトの権限で行われました。ピラトはイエスを政治的反逆者と見なし、ローマ法に基づいて十字架刑に処したのです。
  • 十字架刑: 十字架刑は、ローマ帝国において最も厳しい刑罰の一つで、反逆者や犯罪者に対して行われました。イエスの処刑は、ローマの政治的秩序を保つための一環でした。

3. ユダヤ教徒とキリスト教徒の関係

  • 初期キリスト教の発展: 初期のキリスト教徒は、ほとんどがユダヤ人でしたが、彼らはイエスをメシアとして信じることにより、伝統的なユダヤ教から分離し始めました。
  • ユダヤ教指導者の反応: イエスの死後、彼の弟子たちがキリスト教の教えを広め始めた際、ユダヤ教の指導者たちはこれを異端とみなし、初期のキリスト教徒を迫害しました。
  • ローマ帝国の関与: ローマ帝国は、初期にはキリスト教をユダヤ教の一派とみなしていましたが、後にそれが独立した宗教として急速に広がると、キリスト教徒に対する迫害が始まりました。この迫害は、特に3世紀に激化しましたが、4世紀初頭にコンスタンティヌス帝がキリスト教を公認すると、状況は劇的に変わりました。

4. 歴史的影響

  • 分岐と対立: イエスの教えがユダヤ教から分かれて独自の宗教として発展する過程で、ユダヤ教とキリスト教の間には深い対立が生まれました。これは、後の歴史においても両宗教間の緊張や誤解を生む要因となりました。
  • キリスト教の普及: キリスト教は最初は迫害を受けましたが、やがてローマ帝国内で広まり、最終的にはローマ帝国の国教となりました。これにより、キリスト教は西洋文明の基盤となり、ユダヤ教とは異なる歴史的な道を歩むことになります。

これらの背景を理解することで、映画「ベン・ハー」に描かれる宗教的および政治的な緊張がより深く理解できるでしょう。

ベンハーの時点ではユダヤ人はエルサレムに住んでいるけど、この後、どうしてエルサレムを追われることになったのか気になったのでChatGptに聞いた。(個人的に誤解していて分かったこと→ローマ帝国が追い出したみたい。イスラム教との争いではない。)

イエス・キリストが十字架にかけられた年を含め、ユダヤ人がエルサレムを追われるまでの歴史的な流れは次のようになります。

1. イエス・キリストの十字架刑(約30年)

  • 背景: イエス・キリストは紀元30年ごろ、ローマ帝国支配下のエルサレムで活動していました。彼の教えは、当時のユダヤ教の指導者やローマ当局にとって脅威とされました。
  • 十字架刑: 紀元30年ごろ、イエスはエルサレムで逮捕され、ローマの総督ポンティウス・ピラトゥスによって十字架刑を宣告されました。彼の処刑は、キリスト教徒にとって最も重要な宗教的出来事の一つであり、キリスト教の信仰の中心となる復活の物語へとつながります。

2. 第一次ユダヤ戦争(66年–70年)

  • 反乱の原因: 紀元66年、ユダヤ人はローマ帝国の支配に対して反乱を起こしました。この戦争は、ローマの重税や宗教的抑圧に対する不満から始まりました。
  • エルサレムの陥落と神殿の破壊: 紀元70年、ローマ軍はエルサレムを包囲し、激しい戦いの末に都市を陥落させました。ローマ軍はユダヤ教の第二神殿を破壊し、ユダヤ教徒の宗教生活に大きな打撃を与えました。

3. バル・コクバの乱(132年–135年)

  • 再度の反乱: 紀元132年、ユダヤ人は再びローマに対して反乱を起こしました。これがバル・コクバの乱です。この反乱は、ユダヤ人がエルサレムを再び手に入れようとする最後の大規模な試みでした。
  • 反乱の失敗と追放: 反乱はローマ帝国によって鎮圧され、ユダヤ人はエルサレムから追放されました。ローマ皇帝ハドリアヌスは、エルサレムを「アエリア・カピトリナ」と改名し、ユダヤ人の立ち入りを禁じました。

4. エルサレムからの追放とディアスポラの始まり

  • 都市の改名とローマの支配: ハドリアヌスは、ユダヤ教徒にとって神聖な都市エルサレムを異教の都市として再建し、ユダヤ人の宗教的・文化的拠点を破壊しました。
  • ディアスポラの加速: ユダヤ人は世界中に散らばり、故郷を持たない生活を送ることになりました。エルサレムは長い間、ユダヤ人にとって禁じられた都市となりました。

これらの出来事は、紀元30年ごろのイエス・キリストの処刑から始まり、約100年後にユダヤ人がエルサレムを追われ、世界中に離散するという一連の歴史的な流れを形成しました。

ずっと後の十字軍遠征(11世紀から)の動機が気になったのでChatGptに聞いた。(個人的に誤解していて分かったこと→ユダヤ教はこの件には関係ない?。キリスト教とイスラム教の争い)

エルサレムがキリスト教にとって聖地である理由は、イエス・キリストの生涯とその宗教的な重要性に深く結びついています。以下に、その理由を詳しく説明します。

1. イエス・キリストの活動と受難の地

  • 活動の中心地: イエス・キリストは、エルサレムとその周辺で活動を行いました。エルサレムは彼の教えを広めた主要な場所の一つです。新約聖書には、イエスがエルサレムで多くの奇跡を行い、教えを説いたことが記されています。
  • 最後の晩餐: イエスが弟子たちと最後の晩餐を取った場所もエルサレムです。この出来事はキリスト教の聖餐式(聖体拝領)の基となり、非常に重要視されています。
  • 受難と死: イエスはエルサレムで逮捕され、裁判を受け、十字架にかけられて処刑されました。彼の受難と死はキリスト教信仰の核心であり、エルサレムはこれらの出来事が起こった場所として特別な意味を持っています。

2. 復活の地

  • 聖墳墓教会: エルサレムにある聖墳墓教会は、キリストが埋葬されたとされる墓の場所とされています。この場所でイエスは復活したと信じられており、キリスト教徒にとって最も神聖な場所の一つです。復活はキリスト教の信仰の中心的な教義であり、エルサレムはその象徴的な場所です。

3. 初期キリスト教の発展

  • 最初の教会: エルサレムは、初期キリスト教徒が集まっていた場所でもあります。イエスの弟子たちがここで集まり、祈り、教えを広めていきました。初期のキリスト教会はエルサレムを中心に発展し、この都市はキリスト教の初期の歴史において重要な役割を果たしました。

4. 聖地巡礼の目的地

  • 巡礼の伝統: 中世には、エルサレムへの巡礼がキリスト教徒にとって非常に重要な宗教行為とされていました。キリストの生涯に関連する場所を訪れることは、信仰を深め、霊的な成長を遂げる手段と考えられていました。

5. 十字軍の背景

  • イスラム教の支配: 7世紀にイスラム教徒がエルサレムを征服し、キリスト教徒の巡礼が制限されるようになると、ヨーロッパのキリスト教世界ではエルサレムを奪還し、再びキリスト教徒の支配下に置くことが使命とされました。これが十字軍遠征の一つの大きな動機となりました。
  • 聖地の奪還: 十字軍遠征は、エルサレムをキリスト教徒の手に取り戻すための戦争であり、これはエルサレムがキリスト教徒にとって宗教的にいかに重要な場所であったかを示しています。

エルサレムは、イエス・キリストの生涯と密接に関連する場所であり、キリスト教の歴史と信仰の中で特別な意味を持つ聖地です。そのため、エルサレムの奪還は、十字軍にとって大きな宗教的目標となりました。

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映画「クォ・ヴァディス」(1951)ローマ帝国によるキリスト教の迫害

ヨーロッパ(ローマ帝国)でキリスト教は最初迫害されていた。
ローマ皇帝ネロの時代に、大火災の責任をキリスト教徒に押し付け、迫害が始まりました。この時期、使徒ペトロやパウロが殉教したと伝えられています。

映画「クォ・ヴァディス」(1951)はその時代が舞台です。U-NEXT で見れます。
ペテロが出てきて布教と殉教の様子が描かれています。
映画の中盤、ローマの軍人マーカスがクリスチャンの恋人に向かって
キリスト像をプレゼントする提案をするとき
「今は神様だらけ一つ増やせばいい」とマーカスが言っていた。
これは日本人がクリスマス祝ったりキリスト教式の結婚式をあげたりする
感覚と同じだなと思った。
ローマ人のギリシャ神話に基づいた神々への信仰と
日本人の八百万の神信仰のキリスト教に対する共通した感覚なんだと思います。

映画の中に出てくるペテロに関する後に聖地となる場所
クォ・ヴァディス教会(ローマに引き返す決断をするところ。映画の題名にもなっている)
サン・ピエトロ大聖堂(キリストと同じ方法で死ぬことを恐れ、逆さに十字架にかけられることを希望した場所。諸説あるようです。)

映画「クォ・ヴァディス」の舞台は、古代ローマ時代、特にネロ皇帝が統治していた時期(1世紀)のローマ帝国です。この時代において、キリスト教はまだ新興宗教であり、ローマ帝国では主に多神教が信仰されていました。ローマ人は、ギリシャ神話に基づいた神々や、ローマ独自の神々を信仰しており、これがキリスト教とは異なる宗教です。

ユダヤ教については、古代ローマ帝国においても認識されていましたが、映画「クォ・ヴァディス」の中では主要なテーマとして扱われていません。この映画は主に、キリスト教徒が迫害される中での信仰と、ローマの多神教の対立を描いています。ユダヤ教は、ローマ帝国においても認識されていましたが、映画の主な焦点はキリスト教とローマの多神教との対立です。

ユダヤ教の関与は少なく、主にローマ帝国と初期のキリスト教徒との関係が中心的なテーマとなっています。

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ローマ教皇領ができるまで

信者が増え、キリスト教を認めざる負えなくなったので380年ローマ帝国の国教にする。
同じ構造で以降も民衆が信仰するキリスト教(カトリック)の最高指導者、教皇の力が強くなる。
8世紀にはローマ教皇領を獲得(現在のバチカン市国の元)

ローマ帝国でキリスト教が力を持ち、ローマ教皇が領地を持つに至る歴史を年号付きで解説します。

キリスト教の誕生と初期の迫害 (1世紀 – 3世紀)

  • 1世紀: キリスト教は、イエス・キリストの教えを中心にして、ユダヤ教の中から生まれました。最初のキリスト教徒はローマ帝国内で少数派であり、しばしば迫害されました。
  • 64年ローマ皇帝ネロの時代に、大火災の責任をキリスト教徒に押し付け、迫害が始まりました。この時期、使徒ペトロやパウロが殉教したと伝えられています。
  • 3世紀初頭キリスト教は徐々に広がり、都市部を中心に信者が増加しましたが、依然としてローマ帝国からは迫害されていました。

キリスト教の公認とコンスタンティヌスの改宗 (4世紀)

  • 313年ローマ皇帝コンスタンティヌス1世がミラノ勅令を発布し、キリスト教を公認しました。これにより、キリスト教徒の信仰が合法化され、迫害が終わりました。
  • 325年: コンスタンティヌス1世はニカイア公会議を召集し、キリスト教の教義を統一しました。この公会議では、イエス・キリストが神の子であるという三位一体説が公式に承認されました。
  • 337年: コンスタンティヌス1世は死の直前にキリスト教に改宗し、キリスト教はローマ帝国の国家宗教としての地位を強めました。

キリスト教の国教化とローマ教皇の台頭 (4世紀後半 – 5世紀)

  • 380年: ローマ皇帝テオドシウス1世がキリスト教をローマ帝国の国教とする勅令(テサロニケ勅令)を発布しました。これにより、キリスト教はローマ帝国内で唯一の合法的な宗教となり、異教の信仰は禁止されました。
  • 395年: ローマ帝国は東西に分裂しましたが、キリスト教は両方の帝国で主要な宗教として残りました。ローマ教会の司教(後のローマ教皇)は、特に西ローマ帝国で強力な宗教的指導者となっていきました。
  • 476年: 西ローマ帝国が滅亡した後、ローマ教会の権威がさらに強まり、教皇は西ヨーロッパの宗教的リーダーとしての地位を確立しました。

ローマ教皇領の成立 (8世紀)

  • 756年ピピンの寄進が行われました。フランク王国の王ピピン3世が、ラヴェンナ地方やローマ周辺の領土を教皇に寄進し、これがローマ教皇領(パパル・ステート)の始まりとなりました。この出来事は、教皇が単なる宗教的リーダーから、領土を持つ政治的支配者へと変わる重要な転機となりました。
  • 800年: ピピンの息子であるカール大帝(シャルルマーニュ)が教皇レオ3世により神聖ローマ皇帝として戴冠されました。これにより、教皇と皇帝の結びつきが強まり、教皇の政治的権力がさらに増しました。

まとめ

ローマ帝国でキリスト教が迫害される少数派から公認され、最終的には国教として認められるまでの歴史は、4世紀のコンスタンティヌス1世とテオドシウス1世の時代が重要な転換点でした。さらに、8世紀にはフランク王国との関係を通じて、ローマ教皇は領地を持つ政治的支配者へと変貌し、西ヨーロッパの宗教的および政治的な勢力としての地位を確立しました。

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カトリックへの疑問からプロテスタントの誕生

教皇の力が、いかに強いかを象徴する出来事として
カノッサの屈辱 (1077年)ー教皇によりキリスト教を破門された皇帝が教皇に土下座。
キリスト教を破門されると民衆が皇帝を信用しなくなるので皇帝も必死。
その後、十字軍の失敗(聖地エルサレムをイスラム教徒から奪還失敗)、
アナーニ事件(教会の課税に反対した教皇が皇帝に捕まる 。1303年)などがあってカトリックの勢いに陰りが。
さらに教会が発行する免罪符(お金で天国へ行ける?)の乱発が不信をまねき
ルターの宗教改革 (1517年)などカトリックに対する風当たりが強くなった。
カトリックに反対する人たちが出てきて、それがプロテスタントと呼ばれている。

カトリックとプロテスタントに関連する歴史的な出来事について、年号を含めて解説します。

1.カノッサの屈辱 (1077年)

  • 背景: 11世紀、神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世とローマ教皇グレゴリウス7世の間で、教会の高位聖職者を任命する権利(叙任権)を巡る争いがありました。
  • 出来事: 1077年、ハインリヒ4世はグレゴリウス7世に破門されました。このため、彼は教皇に許しを請うため、冬の厳しい時期にイタリア北部のカノッサ城を訪れ、三日三晩雪の中で赦しを待ちました。この事件は「カノッサの屈辱」として知られ、教皇の権威が皇帝に勝った象徴的な出来事となりました。
  • 影響: カトリック教会が持つ強大な権力を象徴する事件であり、後の宗教的、政治的な権力闘争の背景となりました。

2. 十字軍遠征の失敗 (1096年 – 1291年)

  • 背景十字軍は11世紀末から13世紀にかけて、キリスト教徒が聖地エルサレムをイスラム教徒から奪還するために行われた一連の軍事遠征です。
  • 出来事: 初期の十字軍では一時的にエルサレムを奪還しましたが、最終的には失敗に終わりました。特に、1187年にサラディンがエルサレムを奪還した第3回十字軍や、1204年にビザンティン帝国の首都コンスタンティノープルを略奪した第4回十字軍などが挙げられます。最終的に1291年にアッコンが陥落し、十字軍国家は完全に消滅しました。
  • 影響: 十字軍の失敗は、キリスト教世界の分裂を招き、教皇の権威も揺らぐこととなりました。また、宗教的な対立が深まる中で、後の宗教改革に至る要因の一つとなりました。

3. アナーニ事件 (1303年)

  • 背景: 14世紀初頭、フランス王フィリップ4世とローマ教皇ボニファティウス8世の間で権力争いが激化していました。教皇はフランス王に対して課税を禁止し、王は教皇の権威に反発しました。
  • 出来事: 1303年、フィリップ4世は部下のギヨーム・ド・ノガレを派遣し、イタリアのアナーニに滞在していたボニファティウス8世を捕らえようとしました。教皇は一時的に捕らえられましたが、民衆の助けで解放されました。この事件は「アナーニ事件」として知られ、教皇の権威の衰退を象徴する出来事となりました。
  • 影響: アナーニ事件は、教皇権の衰退とフランス王権の強化を象徴するものであり、後にアヴィニョン捕囚(1309年-1377年)として知られる教皇のフランス支配を引き起こしました。これは後の宗教改革に至る流れに繋がります。

4. 免罪符 (15世紀 – 16世紀)

  • 背景免罪符(インダルジェンティア)は、カトリック教会が罪の罰を軽減するために発行していたもので、中世には教会の主要な収入源の一つとなっていました。特に15世紀から16世紀にかけて、この制度が悪用されるようになりました。
  • 出来事: 免罪符の販売は、特に16世紀初頭に教皇レオ10世がサン・ピエトロ大聖堂の建設資金を集めるために行ったものが有名です。この免罪符の販売が、後に宗教改革を引き起こす大きな要因となりました。
  • 影響免罪符の乱発は、教会の腐敗を象徴するものとして、多くの信者の不満を招きました。これが宗教改革のきっかけとなり、マルティン・ルターが免罪符の販売を批判する95か条の論題を発表する動機となりました。

5. ルターの宗教改革 (1517年)

  • 背景: 16世紀初頭、カトリック教会の腐敗と免罪符の販売に対する批判が高まっていました。ドイツの神学者マルティン・ルターは、これに反発し、改革を求める動きを始めました。
  • 出来事: 1517年10月31日、ルターはヴィッテンベルクの教会の扉に「95か条の論題」を掲げ、教会の免罪符販売を厳しく批判しました。この出来事が宗教改革の始まりとされ、ヨーロッパ全土にプロテスタント運動が広がりました。
  • 影響: ルターの行動はカトリック教会と決別する動きとなり、プロテスタントと呼ばれる新たなキリスト教の流派が誕生しました。これにより、ヨーロッパの宗教地図は大きく変わり、宗教戦争や政治的な変動を引き起こしました。

これらの出来事は、カトリックとプロテスタントの対立や宗教改革に深く関連しており、ヨーロッパの宗教的・政治的な地図を大きく変える要因となりました。

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個人的に考える日本との宗教観の違い

今回、このブログを書いて、キリスト教と日本の宗教観の違いについて考えました。

まず、キリスト教においては、神は唯一無二で絶対的な存在であり、人間の意思は基本的に受け入れられません。不吉な出来事が起こると、それは神の意志に背いた結果とされ、その原因は人間側の行いにあると考えられます。その行いを正すための指針として、聖書が存在します。

一方で、日本の場合(これは私の個人的な見解ですが)、神は人間のように気まぐれで、嫉妬や怒りを持つ存在とされています。不吉な出来事が起こった場合、それもまた神の意志に背いた結果と考えられますが、特定の指針が示されるわけではありません。そのため、人々は神の機嫌を直すために、お願いをしたり、お布施をしたり、奉納舞など様々な手段を試みます。

キリスト教では、免罪符に対して疑問を抱く人々(プロテスタント)が現れましたが、日本の場合、効果に疑問を持つ人はいても、基本的にはその行為が受け入れられていると思います。

また、天照大神が岩戸に閉じこもってしまった際に、外でダンスパーティーを開いたら出てきたという話や、女神が祀られている場所が女人禁制なのは、女神が嫉妬するからだとされていること。神仏習合の影響で、仏を神と同一視したり、家康のように人間を神として祀ったり、八百万の神々が存在するという発想は、唯一無二で絶対的な存在としての神を信仰する宗教観には見られないものだと思います。

日本の場合、漠然と一神教のような宗教観をもっていても、(私も考えてみましたが)
その指針となる聖書みたいなものがないので、
ネットなどで調べても迷子になると思います。
映画「沈黙」(2016)の神父のセリフで、「日本人のキリスト改宗者が見ている神は、
我々の神とは違う大日如来(sun of god)だ」「彼らは自然の中にしか神を見いだせない」「キリスト教の神の概念を持っていない」というようなことを言っていた。
大日如来は天照大神(アマテラス)と、神仏習合の思想において同一視されることがあるらしい。
(映画「沈黙」(2016)はU-NEXT で見られます。)
つまり大日如来や天照大神を一神教的に考えても、キリスト教の宗教観とは違うものだということだと思います。

私の個人的な考えですが、日本の場合、神道は主に生きている間の願いごとと見守り役を担当し、仏教は死生観や死後のこと、極楽浄土や地獄について担当しているように感じます。
こんな分業体制も一神教には不可能だと思います。

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