「茶の湯」とは何なのかを知るために千利休の映画を見ました。
日本で歴史的にどのような役割を果たしてきたのかを知ることができます。
千利休(1522-1591)は茶人であり、商人でもありました。
彼はわび茶の完成者として知られ、彼の茶道に対する影響は現代にも続いており、
子孫は茶道の三千家として続いています。
ということで千利休の映画をご紹介します。
個人的にわび茶(茶の湯+禅)は心の平穏をもたらすものと思います。
瞑想のように一人で行って「心の平穏」を得られるものもありますが、
茶道は一人ではなく「おもてなしの心」をプラスすることで、参加している人全員の「心の平穏」を得られることが特徴だと思います。
なので一人で行うものではなく、もてなす対象の人がいて成り立つものだと思います。
知識のない私がYoutubeやChatGptに聞きたりしてまとめたので間違いも多いと思いますので、ご注意ください。
特にChatGpt、Bing等の生成AIは、自信満々に間違った答えを言うときがあるので注意してください。
紹介する映画はU-NEXT で無料トライアルで見れます。申し込み方法は、こちら↓
映画ではないがU-NEXT で見られる「偉人・素顔の履歴書」に「第23回 天下一の茶人・千利休」がある。
1番最後にこれを見たが結構まとまっているので最小に見たほうがいいかもしれません。
「利休にたずねよ」2013年
「利休にたずねよ」はU-NEXT で見れます。
千利休の映画として1番見やすい。前半は、千利休が何をしたかや秀吉の時代背景がよくまとまっていて、凄くいい。
ただ、後半の恋愛フィクションの部分が、よくある恋愛映画の設定になっていて、
かなり違和感があった。
別の2作品に比べると1番重要な部分が薄くなってしまっている。
かと言って他の2作品は、よく分からない内容になっているので重厚な感じに見えるだけかもしれない。
秀吉時代のエピソードがいろいろ盛り込まれています。
天正15年(1587年)豊臣秀吉が京都の北野天満宮境内,北野松原で行った無礼講の大茶会。 境内から松原にかけて1500軒余の数寄屋(すきや),茶屋を建て客をもてなしたシーンや
醍醐の花見を思わせるシーンも見れていい。
ホトトギスのシーンもある。
山之上宗二が処刑されるとき「金継ぎ」(現在、外人に人気)について
「わしが割って金でつがせよう」というセリフがある。元ネタ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E7%B6%99%E3%81%8E
利休への批判のセリフも出てくる。
(茶道史においては、天正年間の堺衆の茶の湯の基本史料となっている『山上宗二記』(その茶湯者覚悟十躰に「一期に一度」とある)の筆者として重要である。ただ師匠利休の急激な侘びへの傾斜には戸惑いを隠さず「山を谷、西を東と茶湯の法度を破り、物を自由にす」と、批判とも取れる見解を書き残している。)(wikiより)
山上宗二は他の2作品にも登場しますが、それぞれ同じ秀吉との面会シーンで描かれ方が違うのは面白いです。
フロイスともう一人の神父が茶室に誘われた時の会話
神父:「日本人は理解できない」
フロイス:「私も茶の湯に熱狂する日本人は頭がおかしいと思った」
神父:「まるでアヒル小屋だ」「また、まずいものを飲み、ガラクタを見せられるのか」
フロイス:「あの男に会えば考えが変わります」
私も「茶の湯」に関して神父と同じように思っていた。特に舞台となる戦国時代の「茶の湯」という存在についてだ。今回、千利休の映画を見ることで多少は分かった気がする。
武将が引かれたのは殺伐とした戦国の世で、ひと時の心の平穏が得られるためと思われる。茶室には、そのための工夫がされている。
茶室の入口が刀を持って入れないように狭くなっていることや、
入るときの姿勢が格好悪い理由は以下。
千利休が設計した茶室の入り口が狭い理由には、彼の茶道に対する哲学や精神性が反映されています。特に、茶室の入り口である「にじり口」(躙り口)が狭く設計されているのには以下のような理由があります。
- 謙虚さと平等を示す:
にじり口は、高さが約70センチメートル、幅が約60センチメートルほどと非常に狭く、茶室に入る際には身をかがめて這い入る必要があります。これにより、どんな身分の高い武士や権力者でも、茶室に入る際には一度身を低くし、謙虚な姿勢を取らざるを得ません。この姿勢は、茶室ではすべての人が平等であり、外の社会的地位や権力は意味を持たないという利休の思想を象徴しています。 - 精神の静寂と集中:
狭い入り口を通ることで、外界の喧騒や雑念を一時的に断ち切り、茶室という静寂で内省的な空間に身を置く準備が整います。茶室に入るという行為そのものが、精神を落ち着け、茶の湯に集中するための儀式的な意味を持っています。 - 武器を持ち込ませない:
戦国時代、武士は常に武装していましたが、狭いにじり口を通る際には、武器を置いて入らなければなりません。これにより、茶室は争いや暴力が持ち込まれない平和な空間として機能しました。茶の湯の場は、平和と和の精神が最も重要視される場所であり、この狭い入り口がその象徴となっています。 - 簡素さの追求:
利休の侘茶の美学は、簡素さや質素さを重視しています。狭いにじり口は、茶室全体の簡素な設計の一部であり、派手さを排し、必要最小限の要素に集中するという美学を反映しています。
これらの要素が組み合わさり、茶室の入り口が狭い設計となっているのです。この狭い入り口は、茶の湯の精神を体現する重要な要素であり、千利休の思想が色濃く反映されています。
映画に出てくる千利休の娘(実子ではない)の話は「お吟さま」(1962)がありU-NEXT で見れます。
キリシタン大名、高山右近との恋愛話だが、キリスト教に対する秀吉の政策変更の状況も描かれます。
目次へ
「利休」1989年
「利休」はU-NEXT で見れます。
原作が「秀吉と利休」となっているので、題名からしても秀吉と利休の関係性がメイン。(原作未読)
黄金の茶室が出てくるが、「わび茶」の精神にそぐわないのではという質問に回答するシーンもある。
豊臣秀吉が天皇を黄金の茶室に招待したのは、歴史的に確認された事実です。黄金の茶室に関する詳細や千利休の意図については、以下のような背景と考察があります。
1. 黄金の茶室について
豊臣秀吉は、豪華絢爛な金箔で覆われた茶室を作り、その中で茶の湯を催しました。この黄金の茶室は、1586年に天皇(正親町天皇)をもてなすために用いられたとされています。秀吉の権力と富を誇示するために、茶室を移動可能な設計にし、大阪城や聚楽第などでも使用されたと言われています。
2. 秀吉の意図
秀吉が天皇を黄金の茶室に招待した意図には、以下のような要素が考えられます。
- 権力の誇示:
秀吉は農民から天下人にのし上がった人物であり、自身の成功と権力を示すために、豪華で象徴的な行為を好んだと言われています。黄金の茶室は、その象徴の一つとして、秀吉の富と権力を強調し、天皇に対する忠誠と同時に、自身の威厳を示す手段となりました。 - 文化的なパトロンとしての位置づけ:
秀吉は茶の湯を含む多くの文化活動を支援し、自らも茶道に深く関わっていました。天皇を茶室に招待することで、文化的リーダーとしての地位を固め、天下統一者としての威厳を高める意図もあったと考えられます。
3. 利休の意図
黄金の茶室の設計には千利休が関わっていたとされていますが、彼の意図については複数の見解があります。
- 権力への従順:
利休は秀吉に仕えていたため、主君である秀吉の意向に従って黄金の茶室を設計したと考えられます。利休自身が好んだ侘茶の精神とは正反対の豪華さですが、主君に対する忠誠の証として、その指示に従った可能性が高いです。 - 象徴的対比:
利休の侘び寂びの美学に反する黄金の茶室を作ることで、あえて対比を生み出し、侘茶の価値を逆説的に際立たせる意図があったとも解釈できます。華美なものが必ずしも最上の美ではないことを示し、茶の本質に対する深い洞察を提供した可能性もあります。 - 政治的妥協:
利休は、茶道を通じて政治的に複雑な状況を乗り越える能力を持っていました。黄金の茶室は、その一例であり、利休が秀吉の豪華さへの要求を受け入れることで、自己の立場を維持しつつ、茶道の普及を図ったとも考えられます。
まとめ
黄金の茶室は、秀吉の権力誇示の一環であり、利休はその要求に応じた形で設計したと考えられます。この出来事は、茶道が単なる文化的活動を超えて、政治や権力と密接に結びついていたことを示すエピソードの一つです。
「千利休 本覺坊遺文 」1989年
「千利休 本覺坊遺文 」はU-NEXT
で見れます。
千利休の弟子の本覺坊が回想する話。3作の中では1番いい。
助かる道があったのになぜ切腹したかがメインテーマ。
ただ難解な部分が多いので何度も見返したい作品です。
役者が適役ですばらしいです。奥田瑛二(本覚坊)
萬屋錦之介(織田有楽斎)三船敏郎(千利休)加藤剛(古田織部)芦田伸介(秀吉)
織田有楽斎は大河ドラマでもよく出てきて徳川についたり、秀吉についたりで身の振りがうまい印象しかないが、茶の湯に対して、かなり熱い思いを持っていたのは意外だった。
目次へ
「花戦さ」2017年
「花戦さ」はU-NEXT で見れます。
千利休が出てきます。
千利休と秀吉の対立について、この作品の解釈は以下です。
利休が秀吉に対して最後まで謝罪しなかった理由は、権力を手にして傲慢になった秀吉への諫言としての意味がありました。利休にとって、この諫言こそが秀吉への最高のもてなしであり、それは彼の追求した茶の湯の究極の形だったと考えられます。
物語は利休の死後、主人公の池坊による「花戦さ」へと展開していきます。池坊は茶の湯ではなく、花を通じて秀吉に向き合おうとします。最終的に秀吉は何かの気づきを得るものの、その展開はやや現代的な「多様性の重要さ」といったメッセージに傾いており、物語の説得力が若干失われている印象を受けました。
こちらにもとになった話が解説されています。
これ見ると、「初心忘れべからず」という明確なメッセージがあったようですが、映画ではそれに要素を加えすぎたことで、かえってわかりにくくなってしまった感があります。
ただし、日本の伝統文化でよく耳にするワード、池坊の歴史に触れられる点は、この作品の興味深い特徴の一つと言えるでしょう。華道の歴史を垣間見ることができる貴重な作品として評価できます。
目次へ
「茶の湯」と「わび茶」
映画のセリフでは「茶の湯」と言っているが
後年、千利休が行った「茶の湯」が「わび茶」と区別されるようになったと推測する。
「茶の湯」「茶道」「わび茶」は、いずれも日本の茶に関する文化や作法を指しますが、それぞれ異なる意味や側面を持っています。以下にその違いを説明します。
1. 茶の湯(ちゃのゆ)
- 概念: 茶の湯は、日本で行われるお茶を楽しむための総合的な活動や文化を指します。お茶を点てて飲むという行為だけでなく、そのための道具、設え、もてなしの心、さらには精神的な修練までを含む広い概念です。
- 歴史的背景: 茶の湯は、禅宗の影響を受けており、精神的な修行や自己の内面を見つめるための行為としても発展してきました。室町時代から安土桃山時代にかけて、村田珠光や千利休といった茶人たちによって、その精神が深められました。
2. 茶道(さどう/ちゃどう)
- 概念: 茶道は、茶の湯が体系化された形式や作法を指します。「道」という言葉が示す通り、茶道は単なるお茶の作法ではなく、精神修養や道徳的な修行の一環として捉えられています。
- 構成要素: 茶道は、茶室の設計や茶器の扱い方、茶会の進行など、厳密に定められた作法や流派によって構成されます。表千家、裏千家、武者小路千家などの流派があり、それぞれ独自の作法と美学を持っています。
- 精神的側面: 茶道は、日常生活の中で「和敬清寂(わけいせいじゃく)」の精神を実践することを目指します。これは、人を敬い、清らかな心で静寂を楽しむという意味であり、茶道の核心を成す哲学です。
3. わび茶(わびちゃ)
- 概念: わび茶は、茶の湯の一形式であり、簡素さや静寂、そして質素な美しさを重視する茶の湯の精神を指します。特に「侘び」の精神を具現化したものです。
- 美学: わび茶では、豪華さや華麗さを避け、自然な風合いや経年変化を楽しむ美学が強調されます。道具も質素であり、飾り気のないものが好まれます。
- 代表的茶人: 千利休がわび茶を完成させたことで有名であり、彼の影響でこの茶の形式が普及しました。侘びの精神を通じて、茶の湯の真髄に迫ることを目指します。
まとめ
わび茶: 茶の湯の一形式で、質素さ、静寂、自然の美しさを追求する精神を重視した茶の湯の形態。
茶の湯: 日本の総合的なお茶の文化全体を指し、精神修行や内面的な探求も含む広い概念。
茶道: 茶の湯が体系化され、作法や流派を伴った形式化されたもの。精神修養や道徳を含む「道」として捉えられる。
ただ「わび茶」は千利休の師匠の師匠が創始者らしい。
参考:https://kyo-chikiriya.com/blog/tea_about/muratajyuko/
半澤鶴子さん
千利休に興味が湧いたのは、戦国時代に、なぜ、お茶みたいな戦国時代に合いそうもないものが流行っていたのかという疑問と
半澤鶴子さんのドキュメンタリー「女ひとり 70歳の茶事行脚」(Tsuruko’s Tea Journey)の中で千利休に言及していたことがきっかけでした。
このドキュメンタリーを見て、「茶の湯」というのが、いわゆる「お茶を飲むマナー」ではなく
奥深いものであることを知りました。
「千利休 本覺坊遺文 」で「戦国の茶の湯は我々で終わりだ」というセリフがあります。
それを聞いたとき半澤鶴子さんの「茶の湯」に対する情熱と探求心が
千利休たち戦国の茶人に匹敵しているように思えた。
イチゲをOFUSEで応援する(御質問でもOKです)Vプリカでのお支払いがおすすめです。
目次へ