私の仏教学習ノート

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仏教についてYoutubeや映画などで勉強してきたことをChatGptを使ってまとめようと思います。
ChatGptに聞いた長い回答は折り畳んでいます。クリックすると見れます。
主に苦悩したときに見ようと思ってまとめたものです。
宗派は、ごちゃまぜの内容です。
知識のない私がYoutubeやChatGptに聞きたりしてまとめたので間違いも多いと思いますので、ご注意ください。
特にChatGpt、Gemini等の生成AIは、自信満々に間違った答えを言うときがあるので注意してください。

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仏教の基本的な教え

仏教の基本的な教えは、「四法印」(しほういん)や**「四諦」**(したい)などを中心に構成されています。以下にその内容を簡単に説明します。


1. 四法印(しほういん)

仏教の真理を示す4つの教えです。
これらを理解することで仏教の核心に近づくとされています。

  1. 諸行無常(しょぎょうむじょう)
    • 全てのものは変化し続ける。
    • この世に永遠不変のものはない。
  2. 諸法無我(しょほうむが)
    • 全てのものは独立して存在せず、互いに依存して成り立つ。
    • 「私」という固定的な存在も幻である。
  3. 涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)
    • 煩悩を滅し、心の平穏(悟りの境地)を得ることができる。
    • 涅槃は最高の安らぎである。
  4. 一切皆苦(いっさいかいく)
    • この世の全ての現象は苦しみを伴う。
    • 生老病死(しょうろうびょうし)や欲望の充足も苦の一部。

2. 四諦(したい)

苦しみの原因とその解決方法を説いた教えです。

  1. 苦諦(くたい)
    • 人生には苦しみがあるという事実。
    • 生老病死、愛別離苦(愛する者との別れ)、求不得苦(欲しいものが得られない)など。
  2. 集諦(じったい)
    • 苦しみの原因は「煩悩」(欲望・執着)にある。
  3. 滅諦(めったい)
    • 苦しみを終わらせることが可能であり、それが「涅槃」に到達すること。
  4. 道諦(どうたい)
    • 苦しみを克服するための実践の道、つまり「八正道」。

3. 八正道(はっしょうどう)

苦しみを克服し、悟りに至るための8つの実践。

  1. 正見(しょうけん) – 正しい物の見方。
  2. 正思惟(しょうしゆい) – 正しい考え方。
  3. 正語(しょうご) – 正しい言葉を使う。
  4. 正業(しょうごう) – 正しい行いをする。
  5. 正命(しょうみょう) – 正しい生活を営む。
  6. 正精進(しょうしょうじん) – 正しい努力をする。
  7. 正念(しょうねん) – 正しい心の持ち方(気づき)。
  8. 正定(しょうじょう) – 正しい瞑想を行う。

4. 慈悲(じひ)の心

仏教では、他者への思いやり(慈悲)も重要です。

  • 慈(じ):他者に幸福を与える心。
  • 悲(ひ):他者の苦しみを取り除こうとする心。

これらが仏教の基本的な教えです。仏教は理論的な教えだけでなく、実践(瞑想や倫理的な生活)を通じて心の平安を得ることを重視しています。

ChatGptに聞いた仏教の基本的な考えは3つに分けられると思うので、
個人的な、それらの理解と利用方法の紹介です。
本来分けられるものでもないでしょうが整理して考えたほうがいいかなと思いこうしてます。
四法印(しほういん)諸行無常(しょぎょうむじょう)→禅の項参照

四法印(しほういん)諸法無我(しょほうむが)→般若心経の項参照

四法印(しほういん)涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)一切皆苦(いっさいかいく)
それと四諦(したい)八正道(はっしょうどう)慈悲(じひ)の心→苦しみの克服の項参照

苦しみの克服

苦しみを克服することを目的に考えると
四法印涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)一切皆苦(いっさいかいく)
四諦(したい)八正道(はっしょうどう)が関連項目だと思います。
特に四諦にある集諦が原因を示しています。
集諦-苦しみの原因は「煩悩」(欲望・執着)。
八正道で苦しみを克服する方法を説いています。
簡単に言ってしまえば正しいことをしていれば苦しみは克服できるということだと思います。

カルマという言葉があります。

カルマ(業) とは、仏教やヒンドゥー教などの思想において、「行為」とその行為による結果」 を意味します。簡単に言うと、自分が行った行為が未来に影響を及ぼすという因果の法則を指します。


仏教におけるカルマの基本的な考え方

  1. カルマは行為そのもの
    • カルマとは、私たちが日々行う身体(行動)、言葉(発言)、心(思考) の3つのレベルでの行為を指します。
  2. 原因と結果の法則
    • どのような行為も、必ず結果を生むという因果の法則が働きます。
    • 善い行い(善業)は良い結果を生み、悪い行い(悪業)は苦しみをもたらす。
  3. 現在の状況は過去のカルマの結果
    • 私たちが今体験している幸福や苦しみは、過去の行為(カルマ)の結果とされています。
  4. 未来を変えることができる
    • 仏教では、カルマは過去の行為に縛られるだけではなく、現在の行為によって未来を良い方向に変えることができると教えています。

善業と悪業の例

  • 善業(よいカルマ)
    • 他人を助ける行為
    • 思いやりや慈悲の心を持つこと
    • 正しい言葉や行い(八正道の実践)
  • 悪業(悪いカルマ)
    • 他人を傷つける行為
    • 嘘や中傷、悪口
    • 欲や怒り、妬みなどの煩悩に基づいた行動

カルマの連鎖を断ち切る

仏教では、カルマによる輪廻(生死の繰り返し)から解放されることを目指します。そのためには、煩悩(欲望や執着)を克服し、悟り(涅槃) の境地に到達することが必要です。


カルマの教えのポイント

  • 自分の行為は未来に影響を与えるため、意識して正しい行いをする ことが重要。
  • 他人や自分を傷つけない行動を心がけることで、より良い人生を築くことができる。
  • 過去のカルマに縛られないように、現在を丁寧に生きる ことが大切。

業(カルマ) は、仏教の基本的な教えの中で、主に次のような教えと深く関係しています:


1. 因果の法則(四法印に関連)

  • 業は、「諸法無我(しょほうむが)」や「因果の法則」に基づいています。
    • 諸法無我 の考えでは、すべての現象は相互に依存しており、業も「行為(原因)が結果を生む」という因果のつながりの一部とされています。
    • 人が行った行為(身体・言葉・心)が必ず未来に影響を及ぼすという仕組みは、仏教の根幹的な考え方です。

2. 四諦(したい)

  • 業は特に、「苦諦」「集諦」 に関連しています。
  1. 苦諦(くたい)
    • 苦しみの存在を認める教え。業の結果として、苦しみ(生老病死や心の悩み)が生じると考えられます。
  2. 集諦(じったい)
    • 苦しみの原因を説いた教え。業(特に悪業)は煩悩(欲望・怒り・無知)に基づいて行われ、その結果として未来の苦しみを生む原因となります。

3. 八正道(はっしょうどう)

  • 業の良し悪しは、八正道 を実践するかどうかに深く関係しています。
    • 八正道は「正しい行い」「正しい言葉」「正しい思考」など、身体・言葉・心の行為を正すための実践です。
    • 正しい行いを続けることで「善業(良いカルマ)」が生じ、未来に幸福な結果をもたらします。

4. 輪廻と涅槃(四法印:涅槃寂静との関連)

  • 業は、輪廻(生死の繰り返し)を生じさせる根本原因です。
    • 悪業や善業によって次の生が決まり、輪廻の連鎖が続きます。
    • しかし、煩悩や業の力を断ち切ることで輪廻から解放され、「涅槃」という安らぎの境地に至ることができます。

5. 慈悲の実践(善業の形成)

  • 善業を積むことで他者に幸福を与える「慈悲の心」もまた、仏教の重要な実践です。
    • 他者への思いやりや支援を通じて、自分の業の結果を良い方向へ導くことができます。

業の教えのポイント

  • 業は、苦しみの原因(集諦)を理解し、正しい実践(八正道)を通じて悪業を減らし、善業を増やすことにつながっています。
  • 業は固定的ではなく、現在の行為で未来を変えられる という点が希望を与える仏教の教えです。

まとめると、業は仏教の基本教えである「四法印」「四諦」「八正道」など、幅広いテーマと密接に関連しています。業の因果の法則を理解し、日々の行いを見つめ直すことで、悟りや涅槃の道へと近づくことができるのです。

カルマの説明の中に「善い行い(善業)は良い結果を生み、悪い行い(悪業)は苦しみをもたらす。」とあります。
この部分に注目します。
よい結果というのは願いが叶う(金持ちになる、夢がかなう、天国にいけるなど)ということではなく心の平穏が得られるということだと思います。
言い換えると、善い行いをしたら、「良い結果」が起きることを願ってしまいますが、現実世界で得られる結果としての「良い結果」というのは欲望が満たされることで、それは苦しみのもとでもあります。

確かに、善い行いをすると心の平穏を感じる気はしています。
また慈悲に関しては自分を救いたいのに、なぜ他人に親切にしなきゃいけないんだという気になりますが、
これも、自分の心の平穏を得るためで、結局、自分の心の平穏を得ることができるということだと思います。個人的には、無理に善い行いをするのではなく心に思い浮かべるだけでいいと思います。善い人すぎると、付け込まれたり、いいように利用されたり、馬鹿を見ることはよくあります。なので普通の人(私のような凡人、強くない人)は、過度に善い行いをせず心の中に留めておけば、それでいいと思います。また、この「慈悲にあふれた心」を持つことを絶えず意識することは結構簡単です。なので座禅(マインドフルネス)を実行するよりも「心の平穏を得る」には簡単かつ効果的ではないかと最近、思えてきました。

しかし人間は欲深い(煩悩深い)ので、善い行いの報酬として心の平穏だけでは満足できません。
ここで親鸞が言っている悪人正機説が効いてくるのだと思います。

悪人正機説(あくにんしょうきせつ) は、日本の浄土真宗(親鸞が開いた仏教の宗派)における重要な教えで、以下のような意味を持っています。


悪人正機説の意味

  • 「悪人こそが阿弥陀仏の救いの対象である」 という考えです。
  • ここでの「悪人」とは、仏教の戒律を守りきれない、煩悩を抱えたまま生きる人間全般を指します。

親鸞は、自分自身を省みて「煩悩深い自分のような悪人こそが、阿弥陀仏の本願に救われるべき存在だ」と述べました。


背景

この教えは、浄土真宗の根本的な経典である**「浄土三部経」**(特に『仏説無量寿経』)に基づいています。阿弥陀仏は、自らの力では救われない存在(罪深い者、弱き者)を救うことを誓った「本願」を持っているとされています。

親鸞は、この「阿弥陀仏の本願」を深く信じ、「善人ではなく、煩悩にまみれた悪人こそが阿弥陀仏の本当の救いの対象である」と説きました。


善人と悪人の考え方

親鸞は「善人」と「悪人」を次のように捉えました。

  1. 善人
    • 自分の力(努力や修行)で悟りに到達しようとする人。
    • しかし、完全に煩悩を断ち切れる人はほとんどおらず、多くの人は「善人」になりきれない。
  2. 悪人
    • 煩悩を抱え、戒律や修行を完全には守れない人。
    • 自分の無力さを自覚し、阿弥陀仏の力に頼ることで救われる存在。

親鸞は「本当の意味での善人はほとんどおらず、人間は皆どこかで煩悩や弱さを抱えた『悪人』である」と考えました。


「悪人正機」の要点

  1. 自力(自分の力)ではなく、他力(阿弥陀仏の力)による救いを信じることが重要。
  2. 自分が煩悩を持つ「悪人」であることを自覚することが救いへの第一歩。
  3. 阿弥陀仏の本願(すべての人を救うという誓い)を信じ、「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えることで救いを得る。

親鸞の言葉

親鸞の有名な言葉に次のようなものがあります:

「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。」
(善人でさえ救われるのだから、まして悪人はなおさら救われる。)

これは、「自分が善行を積むことで悟りを得ようとする善人でさえ救われるのなら、阿弥陀仏の力に頼る悪人はもっと救われるべきである」という意味です。


現代における意義

悪人正機説は、「人間は誰しも不完全であるが、それでも救われる道がある」という希望を与える教えとして、多くの人に共感を与えています。

つまり、善い行いをすることで心の平穏を求めつつ、無理に善い行いをするのではなく
自分に対して優しくする。つまり欲深いことで自分を責めない。
欲深いのは当たり前なので「南無阿弥陀仏」と唱えて阿弥陀の本願(みんなを救う)に頼ればいいのだと思います。

まとめると、

・苦しみの原因は「煩悩」(欲望・執着)つまり自分の欲望が元であることに気づくこと。
・善い行いをすれば、心の平穏を得られる。
・欲深い自分を責めて無理せず「南無阿弥陀仏」と唱えて阿弥陀の本願(みんなを救う)に頼ればいい。

般若心経

諸法無我に関しては般若心経がいいと思います。
上記とは違ったアプローチで心の平穏を得られます。

『般若心経』:諸法無我を「空」の思想として深め、人間の苦しみや執着からの解放を説く。(ChatGpt談)
以下の映画が面白かったですし理解が深まりました。

諸行無常

諸行無常と言えば以下2つが有名ですが、

『平家物語』の「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」
鴨長明の『方丈記』の「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」

ここでは若干、無理やり禅との関係でみていきたいと思います。禅は諸法無我も重要な概念のようです。

諸行無常 は、仏教の教えにおいて密接に関係しています。諸行無常の考え方は、禅の修行や実践の基盤となる重要な教えです。以下にその関係を詳しく説明します。


1. 諸行無常とは?

  • 諸行無常(しょぎょうむじょう) とは、「すべての現象は変化し続け、永遠に固定されたものはない」という仏教の基本教えです。
  • この教えは、すべてのものが「生じては滅する」という移り変わりの中にあることを示し、人生の苦しみや執着の原因を見つめる手助けとなります。

2. 禅とは?

  • 禅は仏教の実践法の一つで、「坐禅(ざぜん)」を通じて心の平静や真理の理解を深めることを目指します。
  • 禅は理論的な教義を超え、直接的な体験を通じて悟り(真理)を得ることを重視します。

3. 諸行無常と禅の関係

(1)無常を受け入れる心の鍛錬

  • 禅の修行 では、諸行無常の真理を直接的に体感することが求められます。
    • 坐禅を通じて、心に浮かぶ思考や感情が絶えず移り変わる様子を観察します。
    • 「思考や感情も無常であり、一時的なものである」と気づくことで、執着や悩みから解放される道を見つけます。

(2)「今ここ」の実践

  • 禅は「今、この瞬間」を生きること を重視します。
    • 諸行無常の教えでは、「過去は変わり続け、未来は未確定」であるため、「今」の瞬間こそが最も重要だと理解できます。
    • 禅の坐禅では、「現在の呼吸」や「身体感覚」に意識を集中し、過去や未来へのとらわれから心を解放します。

(3)執着を手放す

  • 諸行無常は「すべてのものが変化し、失われていく」ことを教えています。
    • 禅の実践を通じて、変化するものに対する執着を手放し、心の自由を得ることが可能です。
    • 例えば、「成功」「失敗」「所有物」などへの執着を超えた境地に達することが禅の目的の一つです。

(4)「無常」から悟りへ

  • 禅の深い実践では、「すべては無常であり空(くう)である」という真理を直接体験します。
    • 坐禅中に心を静めることで、物事の移り変わりをありのままに観察し、「無常」の理解を深め、悟りに近づくことができます。

4. 禅の言葉における諸行無常の表現

  • 禅では無常を示す短い言葉やエピソードがよく使われます:
    • 「風吹けども山は動かず」
      → 風(無常)が吹いても、山(真理)は揺るがない。
    • 「雪は溶け、水となる」
      → 雪(現象)は形を変え、水(本質)となる。これは無常の変化と本質の不変を同時に示しています。

5. 実践面での結びつき

禅における無常を学ぶ方法:

  1. 坐禅
    • 呼吸や身体に集中し、思考や感情が流れていく様子を観察することで、無常を直接体験します。
  2. 日常生活での気づき
    • 日々の中で、時間や人間関係、環境が変化していくことを意識的に受け入れます。
  3. 自己の無常を受け入れる
    • 年齢を重ねることや身体の変化も無常の一部とし、それを自然なこととして受け入れます。

6. まとめ

  • 諸行無常 は、禅の実践を支える根本的な思想であり、変化し続ける世界をあるがままに受け入れるための鍵となります。
  • 禅の修行を通じて、無常の教えを単なる理論ではなく、心で直接体験し、執着や苦しみから解放される道を歩むことができます。

禅は「今、この瞬間」を生きること を重視します。
これの意味するところを実生活で役立つように解釈すると、
くよくよ悩んでいるときに自分は今、悩んでいるということを認識することだと思います。
さらに、悩んでもしょうがないというふうに持っていく手段は
次のキーワードにあると思います。

上の説明で禅の重要なキーワードと思われる言葉について聞いた。

「すべては無常であり空(くう)である」 という言葉は、仏教の核心的な教えを簡潔に表現しています。この教えは、現実の本質を深く理解するための鍵であり、悟りへと至る道を示しています。それぞれの言葉の意味と、それらがどのように結びついているかを説明します。


1. 「無常(むじょう)」とは?

  • 無常とは、「すべてのものが常に変化し、永遠に続くものは存在しない」という意味です。
  • この教えは、自然や人生のあらゆる現象が移り変わることを示します。
    • 例:季節の変化、命の誕生と死、感情や状況の移ろい。
  • 仏教では、「無常」を理解することで、変わりゆくものに執着することが苦しみの原因であると気づくよう導きます。

2. 「空(くう)」とは?

  • 空とは、「すべてのものが固定された実体を持たない」という意味です。
  • この教えは、「物事は独立して存在するのではなく、他の条件(因縁)によって成り立っている」と説明します。
    • 例:木の葉は、土壌、雨、太陽などが揃わなければ存在できません。同様に、私たちもまた環境や他者との関係の中で存在しています。
  • 空は「無」とは違い、「何もない」という意味ではなく、「本質的な実体がない」という意味です。

3. 無常と空の関係

  • 無常と空は密接に結びついており、物事の真理を示しています。
    • 無常:物事が変化し続けるのは、それが独立した実体を持たない(空である)ため。
    • :物事が空であるために、常に因縁に依存して変化(無常)する。

例として:

  • 雨が降る現象を考えてみましょう。
    • 雨は、雲、水蒸気、気温などの条件が揃った結果として一時的に現れるものです。
    • しかし、それは常に変化し続け、同じ状態で留まることはありません(無常)。
    • 雨そのものには独立した実体がなく、それ自体で存在するわけではありません(空)。

4. 「すべては無常であり空である」の理解がもたらすもの

この教えを深く理解すると、次のような心の変化が生じます:

(1)執着からの解放

  • 人間は、変わりゆくものに執着することで苦しみを生みます(例:愛するものを失う恐れ、老いへの不安)。
  • 無常を理解すると、「変化は自然なこと」と受け入れる心が生まれます。

(2)自我へのとらわれの消滅

  • 私たちは、自分(自我)が固定された存在だと考えがちです。
  • 空の理解は、「自分という存在も因縁によって成り立っている一時的なもの」であると気づかせ、自我への執着を和らげます。

(3)真理への目覚め

  • 無常と空を理解することで、物事を「あるがまま」に受け入れることができ、苦しみの原因となる誤解や執着を手放すことができます。
  • これが仏教でいう「悟り」の一歩です。

5. 具体例での解釈

  • 愛する人との別れ
    • 無常:愛する人との関係も変化する。命は有限である。
    • 空:その人との関係性は、さまざまな条件が揃った結果であり、永遠に固定されたものではない。
    • 結果:変化や別れを自然なこととして受け入れられるようになる。
  • 成功や失敗
    • 無常:成功や失敗も一時的で、ずっと続くものではない。
    • 空:成功や失敗も、多くの条件や縁が重なった結果であり、自分だけの力ではない。
    • 結果:結果に執着せず、心穏やかに物事に取り組める。

6. まとめ

  • 「すべては無常であり空である」という教えは、仏教の真髄であり、物事の本質を理解するための鍵です。
  • この教えを日常生活で実践すると、執着や苦しみを手放し、心の平安を得ることができます。
  • 無常と空を直接体験し深く理解することが、仏教の目的である「悟り」への道を開きます。

悩むのをやめるのに「すべては無常であり空(くう)である」を利用してもいいですが
悩んでいることが認識できれば、前述した苦しみの克服の方法も取れると思います。

マインドフルネス

今の自分が、何を考えて、どういう状態なのかを把握しなければいけないことは頭で理解したとしても、
実際、くよくよ悩んでいるときに自分は今、悩んでいるということを認識して止めるのは難しいです。
そこで座禅が出てくるのだと思います。

座禅とマインドフルネスの違いは、よく分かりませんが、Gemini(ChatGptと同じような生成AI)にいろいろ聞いたマインドフルネスのやり方です。(やり方の根拠、発信元は不明です。禅と関係ないかもしれないしGemini(生成AI)が適当にくっつけただけの文章かもしれません。)
また、慈愛を育む方法も一緒に出てきたし良さそうなので載せておきます。

英語の勉強も兼ねて聞いていたので英語と和訳をつけておきます。
英語の学習方法として、こういう内容を英文で暗記すると、暗記するモティベーションもあがりますし記憶に定着するのではないかと思っています。

For practicing mindfulness, you can start by focusing on your breath. Find a quiet place, sit comfortably, and gently bring your attention to the sensation of your breath entering and leaving your body. When your mind wanders, simply acknowledge the thought and gently redirect your attention back to your breath.
マインドフルネスを実践するためには、まず呼吸に集中することから始めてください。静かな場所を見つけ、快適な姿勢で座り、呼吸が体に入り出る感覚に注意を向けましょう。心がさまようときは、ただその考えを認識し、優しく注意を呼吸に戻してください。

For cultivating loving-kindness, you can begin by silently repeating phrases such as “May I be well, may I be happy,” and then extending those wishes to loved ones, to acquaintances, and eventually to all beings. Do these techniques make sense to you?

慈愛を育むためには、次のようなフレーズを静かに繰り返すことから始められます。例えば、『私が健康でありますように』『私が幸せでありますように』といった言葉を自分に向けて唱え、それからその願いを愛する人々へ、次に知り合いへ、最終的にはすべての存在へと広げていきます。
英語の勉強で使っているのは、こちら↓

パソコン(Windows11)で英会話!Google AI Studio(Gmini2.0)がすごかったけど、やっぱり無料だと・・・
パソコンで、なかなかリアルタイムかつ無料でAIと英会話するいいものがなかったが、ようやく発見した。英会話の練習相手にいいです。Googleアカウントが必要です。(無料)しかしなんかすごいので無料だと制限があるのではと心配になります。制限につ...

このフレーズは、文法的には疑問文ではありません。むしろ、願望や祈りを表す文です。

なぜ疑問文のように見えるのか?

  • 助動詞「may」の働き: 英語の「may」は、許可を求める(May I use the bathroom?)だけでなく、願望や可能性を表す場合もあります。このフレーズでは、後者の意味で使われており、「~でありますように」という願望を表現しています。
  • 倒置法: 通常の文の語順は主語+動詞ですが、このフレーズでは動詞が主語の前に置かれています。これは、古英語の影響や、より力強い印象を与えるための倒置法と呼ばれる文法的な特徴です。

まとめ

「May I be well, may I be happy」は、文法的には疑問文ではありませんが、倒置法と助動詞「may」の働きによって、まるで祈りを捧げているような、力強い印象を与える文なのです。

英語の勉強と併用

仏教と英語の勉強に興味がある人は、こういう仏教系のYoutubeを見るのをおすすめします。
つまらない例文を暗記するよりも、興味のある例文を暗記するほうがいいかもしれません。

https://youtu.be/-bOJ7J7QSPQ?si=VQmTEA78wV7cAugt
同じようなチャンネルががいくつもあります。
https://youtu.be/R6jQg1mbESk?si=SfA2pQ1AaqKZK984
こちらのYoutubeの中にあった使えそうなものをメモしておきました。

怒りの感情をコントロールする方法
Begin with the small irritations, such as being cut off in traffic. Instead of reacting with a honk or a shout, pause and recognize the rise of anger. Remind yourself, “This moment doesn’t deserve my peace.
車の割り込みなどの小さなイライラから始めましょう。クラクションを鳴らしたり、叫んだりして反応する代わりに、立ち止まって怒りの芽生えを認識します。「この瞬間に私の平安を奪われる価値はない」と自分に言い聞かせましょう。

“what if” mindset 「what if(もしも)」マインドセット
Instead of letting anger grow, we shift to asking questions that help us learn and understand. For example, if someone criticizes you, it’s easy to snap back or silently brood, but with the “what if” method, you pause and say to yourself, “What if this is a moment for me to grow? What if the person who spoke harshly is dealing with stress at home or is frustrated about something entirely different?

怒りを大きくさせる代わりに、学び、理解するのに役立つ質問をすることにシフトします。例えば、誰かがあなたを批判した時、すぐに反論したり、黙って思い悩んだりしがちですが、「what if」メソッドを使えば、立ち止まって「もしもこれが私が成長するための瞬間だったら?もしも厳しく話した人が、家でストレスを抱えていたり、まったく別のことでフラストレーションを感じていたりしたら?」と自分に問いかけるのです。
When anger arises, it usually clings to a specific story about what happened. That story might be, “They criticized me, so they must be out to get me” or “They think I’m not good enough.” In truth, we can never be completely sure what’s going on inside another person’s head. They might be having a terrible day, or they might be struggling in ways we can’t see. Even if they genuinely mean to be rude, it helps us more to stay calm than to let ourselves be rattled.

怒りが生じるとき、それは通常、起こったことについての特定のストーリーにしがみついています。そのストーリーは「彼らは私を批判した、だから私を陥れようとしているに違いない」とか「彼らは私が十分でないと思っている」というものかもしれません。実際のところ、他人の頭の中で何が起きているのか、完全に確信することは決してできません。彼らは terrible な一日を過ごしているかもしれませんし、私たちには見えない形で苦労しているかもしれません。たとえ本当に無礼な意図があったとしても、動揺するよりも冷静さを保つ方が私たちにとって有益なのです。

神道

最後に仏教ではありませんが神道は日本で長い間共存してきたので
神道も仏教とは切り分けて信仰してもいいと思います。
信仰というか私は好きです。
仏教は自己暗示をかけるテクニックのような気がしています。
神道は理屈ではない何かの存在を担当していると思います。
実際、神社に行くと神聖な感じがしますし、そういう場所があることはありがたいことです。
神社は入りやすいんですが寺は個人的に訪問しにくい感じがしています。入っていいのか行けないのか判断が難しい雰囲気があります。
初詣や合格祈願などにいく人は自覚がなくても八百万の神を信じているからだと思います。
いずれにしろ仏教、神道は大切な日本の文化だと思って大事にしなければと思っています。

所感

仏教をベースにまとめましたが、宗派や心理学など、ごちゃまぜな内容となっております。
そもそも自分の心の平穏を得ることが目的なので、途中から、起源や根拠を探すのが面倒くさくなりました。
結局、自分の納得のいく内容を書いてあるので一般的な見識とは違うものもあるかもしれません。
間違った理解でも、自分の心の平穏を得られるのであれば、それでいいと私は思っています。

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MENTAやってます(ichige)

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